12月 222012
 

究極に簡単なことは、究極に難しい。

なぜ、難しいのかというと、自分が難しくしているから。

先人のいいところを真似して、自分のやり方に取り入れようとする。
自分なりのアレンジを加え、成功例のいいところを上手い具合に、自分のやり方の中に取り込みたいのが人の常。

それで、うまくいくかと言えば、うまくいかない。
なぜか?

それは、もともとの自分のやり方が間違っているから。

間違った自分のやり方に、成功例の一部を取り入れても、それは無駄になるだけ。
例えて言えば、ベースのスープが腐っているのに、どんなに良い食材をそこに入れたとしても、うまいものは作れない。

それでは、どうすればよいかというと、それは成功例をアレンジするのではなく、そのままそっくり盗んでしまうこと、いわゆる今でいうところの「完コピ」。

これが単純だけど、すこぶる難しい。
なぜなら、人間は考える葦、以上に考えすぎる葦であり、何を考えているかというと、基本的には自分のことを。
そう、だから、自分のことを考えないようにしなければいけないということ。

これは自分に向いていたベクトル、欲求や欲望、希望・願望などのベクトルを、お客さま(=相手)からのベクトルに変えなければいけないということ。
つまり、自分のしたいことをするのではなく、お客さま(=相手)のしたいことをするというだけのこと。
自分の欲求に従うのではなく、相手の欲求に従うということ。

つまり、これは相手の欲求のベクトルに意識を集中させ、その出どころや向っている先を感じとり、そのためのサポートをしたり、先回りをして欲求を満たしてあげるということ。

実に単純だが、自我の盛んな人には、究極的に難しいことでもある。

相手を知ること、観察すること、じっくりと相手の話に耳を傾けること、それが大事な第一歩となる。

相手の欲求を叶えてあげられる、叶えてあげたいという人間になるためには、自分の欲求をまず満たしてしまうか、いっさいの自我を捨て去るかのどちらかである。

若いうちに、贅沢をしたり、さんざん遊びまくった人が人生で成功しているのは、自分の欲求がまず満たされ、もう相手の欲求を満たしてあげよう、というれレベルで仕事をしているからだろう。

また、人生のドン底を味わった人は、自分のちっぽけな自我やプライドなど、なんの役にも立たないことを悟り、捨ててしまったからだろう。

究極的に簡単なことは、究極的に難しい。

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