12月 222012
 

原子力発電所はいらないか?と漠然と聞かれれば、それは「Yes(いらない)」でしょう。
※英語の表記だと「No」なのかな。「はい、いりません」となるので。
新規に原発を作るのも反対でしょう。

それでは、今ある原発に関していえばこれはどうか?
質問の仕方によっては、ちょっとこれは難しいところではないのでしょうか。

原発は停まっていれば安全というほど、安全な施設ではりません。
運転中と停止中では、あきらかに運転中の方が危険なようですが、だからといって、停まっている原発は安全、動いていると危険、という図式ではありません。

危険度が、

動いている > 停まっている

というだけです。

だったら、安全に運転を再開しようよ、というのが、わたしなど(原発容認派)の考えです。
もちろん、容認しているだけで、脱原発ですし、いずれは原発ゼロが望ましいでしょう。

ただ、今ある施設を眠らせておくのは、単純にもったいないと思うのです。
それは経済的な面だけでなく、技術的な点からもです。

堀江さん(ホリエモン)が言っていたのですが、「原発は技術の積み重ねが難しい」とのことです。
今回の事故を見ればわかりますが、原発は一回の事故で、即廃止という議論になります。

通常の技術というのは、トライ&エラーで進歩していくものです。
それが、原発の場合は、1度のエラーが致命傷になり、次のトライが許されないのです。
ですから、もしかしたら、もっと原発を有効に活用できるかもしれないのに、次のトライが許されないため、そのまま今まで積み重ねてきた原子力の技術が無駄になる可能性があります。

今は世界も日本も未曾有の大不況です。貿易赤字も膨らんでいます。
そのような状況の中で、聞こえない声としては、使えるものはなんでも使ってくれ、というのがあるのだと思います。
もちろん、原発そのものには反対ですが、今あるものは活用しようよ、というのが、今回の選挙を通じての国民の本音ではないのでしょうか?

これは、ちょっと死刑制度というものに似ていると思います。

人が人を殺してもいいのか?と聞かれれば、皆、それは「よくない」と答えるでしょう。

それでは「死刑で人を殺すのははいいのか?」と聞かれれば、これはほとんどの人が「いい」と答えるでしょう。
もちろん、積極的な「Yes」ではなく、死刑が制度として確立されているので、「容認する」といった意味での「いい」という意味合いでしょう。

つまり、これは制度としてもうあるので、その前提で死刑制度の話をしているのです。
まったく、死刑制度のない状態での、「死刑」の良し悪しや存廃の話ということではありません。

原発問題も同様に、今ある原発の問題と、これからの原発の問題はわけて考えないと、訳のわからないことになってしまうでしょう。

そもそも、原発容認派としては、発送電の分離による電力会社の解体、及び電力事業の自由化をすれば、危険でコストの高い原発は自然消滅するのがわかっているのです。
ですから、求めるべきは「脱原発」ではなく、発送電の分離と電力の自由化ということになるのです。

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