12月 252012
 

今、テレビで「遅咲きのヒマワリ~ボクの人生、リニューアル~」というドラマが放映されています。

これは高知県四万十市を舞台にした、若者と地方都市の再生のドラマです。

東京から来た主人公の28歳の男の子が、四万十市のある田舎町で、「地域おこし協力隊」という役職について、地域のお年寄りの世話を焼いたり、地元の若者たちと地域を盛り上げようとする中で、自分の中での葛藤と闘いながら、成長していくというドラマです。

もちろん、東京から若者一人が移住してきたところで、疲弊した田舎の都市が息を吹き返すということはありません。
しかし、コミュニティーとしては、何かしよう、何とかしようという中で、十分に成り立っているのではないかと思うのです。

旧来のお金をじゃぶじゃぶ使って、公民館や地域のセンターをつくっていた頃は、果たして地域がコミュニティーとして機能していたでしょうか?
使い勝手の良く、きれいな公民館やコンサートやイベントの行える文化センターなどの箱ものは、単なる結果にすぎません。
それらができた結果、はたして地域が地域として豊かになったのでしょうか?

そもそも、どうして、使い勝手のよい公民館が必要だったかといえば、そこに市民が集まれるからでしょう。
そういった皆が集まれる施設があるといいな→では、公民館を作りましょう、ということだったのだと思うのです。

つまり、公民館を作ることは、みんなが集めれるための「目的」だったはずなのです。
それがいつしか、公民館をつくることが「結果」になってしまっていたんじゃないのかな?と懸念してしまうのです。

今は、企業も行政もお金がない時代です。
ですから、旧世紀のような、闇雲に何でも施設を作ることほとんど無理です。
でも、考えてみれば、そもそも地域のコミュニティーが成り立ってないところに、そのような箱ものだけをつくることはおかしなことなのです。

当初は、住民が集まれる施設をつくる、だったのでしょう。
それがいつしか、施設をつくれば住民が来る、というように変わってしまった気がします。
その考えの最たる発想が、第3セクターによる観光施設の開発でしょうね。

ツイートツイート

Ads by Google 楽天市場 アマゾン

現在コメント投稿は停止しております。