12月 252012
 

かつての時代は、お金があった(※借金できたという方が正解かな?)ので、まずは箱ものをつくってしまいました。
つまり、「結果」ありきだった面もいなめません。
でも、今はそうはいかない時代です。

とはいうものの、もしかしたら、今の方が地域コミュニティーを考え、育てるうえではよいのかもしれません。
お金があれば、どうしても外部のプロに頼むことが多くなります。
お金がなければ、自然と自分たちで動くことになります。

また、お金では解決できないので、知恵を絞りながら、地域のみんなで協力することになります。

と、いうような感じになれば、その過程こそが、まさに、「コミュニティー」のあるべき姿なのではないのかと思ったのです。
つまり、そのような行為や行動こそが、真のコミュニティーなのではないのかと思うのです。
これは目に見える状態ではなくて、行為や行動といった「動き」なので、ものすごく説明しずらいのですが。

今までは、結果=静的な目に見える状態を求めていた時代でしたが、これからの新世紀は、過程=目に見えない動きを求めていくべき時代なのかな、と思います。

人の動きや交流がまずありきで、そこに道具として施設やコンピューターネットワークなどが加わるのはいいでしょう。
しかし、地域の人が集まれるこんな施設つくりました、住民のためのこんなサイトを作りました、という旧来の発想はもう古いのかもしれません。

ドラマ「遅咲きのヒマワリ~ボクの人生、リニューアル~」に話を戻しますと、主人公の小平丈太郎(生田斗真)青年が、何を作り出すかではなく、その過程における地域のお年寄りや若者たちとの交流、それ自体が、もはや新世紀のコミュニティーなのではないのかと思うのです。
新世紀のというと、これは語弊があります。
これは、かつて日本にあった地域のコミュニティーの形そのもので、経済成長という個人主義の荒波にまみれる前の日本の姿というだけのことです。

21世紀に入り、経済危機もあったせいか、世の中の動きや流れがガラリと変わりました。
今までの発想が通じなくなりつつある時代です。

激動の21世紀を生きるにおいて、コミュニティー・デザイン、そして、コミュニティーというものは、非常に重要なキーエッセンスになるでしょうね。

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