12月 262012
 

わたしの選挙参加は、1995年からになるので、中選挙区時代のことは、ほとんど知りません。
中選挙区時代の思い出といえば、子どもの頃に、選挙カーが来て、パンをもらったような記憶があるのですが、それは記憶違いかな?f^_^;

先日博識なお客さまと選挙のことについてお話しする機会がありまして、中選挙区時代のことを聞いてみました。
この辺(太田など東部地区)は、自民の候補者3人に対して、議員のイスは3で、自民3候補+革新系(社会党)で3議席を争っていたそうです。
※前提として、群馬は自民王国で、革新系は弱いです。

自民の3候補は、太田・館林・桐生とそれぞれ分かれていました。
太田→中島系
館林→谷津系
桐生→笹川系

議席3に対して、革新系が1議席は取れたようです。
そうなると、自民の3候補者で、2議席を争うことになります。
ということで、これが派閥を生み、派閥の争いをおこさせたということでしょうね。

自然、選挙においても、「おらが町の先生」を国会に送り込むために、各町々が必死に選挙運動を繰り広げることになります。
※おらが町の先生→おらが町に、国道や公共施設などの建設の便宜、ということです。

おらが町の国会議員を送り出すために、結局行っていたのは、都市対抗の選挙合戦です。
そうなると、勝負はもう得票数なので、投票への動員も激しくなり、その結果、投票率も高かったようです。

まぁ、そんな話を聞いていると、投票率が高い=良い選挙、と言えるのかなぁ?と思ってしまいました(;^_^A

ある意味、中選挙区で「おらが町の先生」を国会に送りだすという発想は、なくなってよかったのかもしれません。
国道も一通りできあがったでしょうし、なくて困るような公共施設もほとんどないでしょう。

これは、何も国会議員だけでなく、県会議員や市議会議員にも言えることです。
かつては、どぶ板選挙と言われていたように、住民の家を1軒、1軒回り、要望を聞き、それを県政や市政に反映させる役目を担っていたのでしょう。
家の前の砂利道を舗装しましょう、下水道をひきましょう、公園をつくりましょう…という、いわば社会インフラの要望を聞き取ることが地方議員の役目でもあったようです。

しかし、今や、日本をどうする、地域をどうする、という観念的な公約が、地方議員の中にも目立ってきました。
となると、もう、地方議員の役目も終わっているのかもしれません。

市や県の事業の調整役として地方議員が活躍しないで、こんな町をつくりたい、という感じであれば、それはもうボランティアのやることです。

今の政治は、国にしても地方にしても、旧時代の政治体制、選挙体制を引きずっているところがあります。
しかし、もうそれは古い体制、終わった体制なのかもしれません。

これからは、もっと違った新しい「モノサシ」が必要なのかもしれませんね。

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