5月 042013
 

ボストン・テロ、被害者に思い=村上春樹氏が寄稿―米誌

【ニューヨーク時事】作家の村上春樹氏は3日、米誌ニューヨーカー(電子版)に寄稿、先月ボストン・マラソンの会場で起きた爆弾テロを受けて「ランナーを自任する世界の一市民として、自分も傷ついた」などと、テロ被害者らに寄り添う思いをつづった。

ボストン近郊に計3年間住んだことがあるという村上氏。過去30年間に33回のフルマラソンを走ったが、最も好きなのは6回参加したボストン・マラソンだと指摘。爆弾テロによって「ボストンの人々がいかに打ちひしがれ、落胆したか、離れていても想像できる」と気持ちを込めた。

また、地下鉄サリン事件を扱った作品「アンダーグラウンド」を執筆した際に被害者らを直接取材した経験を踏まえ、「こうした悲しみ、無念、怒り、絶望が重なった気持ちが消えるのは容易ではない」と強調した。

その上で、こうしたトラウマの克服には時間がかかるが、「この傷を忘れず、決して痛みから目をそらさず、さらには誠実に、根気強く、静かに、われわれの歴史を積み重ねる必要がある」と呼び掛けた。 

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130504-00000009-jij-n_ame(※リンク切れ)

もちろん、この手の無差別殺人事件は忌まわしいことで、非難以外の余地はありません。
でも、これって「テロ」っていうのかな?

まぁ、テロの定義が何なのかよくわからないから、判定のしようはないけど、何か「テロ」という言葉を強調して、「テロの抑止」へ世論を向けているような気がするのです。
もちろん、テロの抑止をするのは当たり前ですが、それは翻っていえば、軍事費の拡大であり、警察組織の拡張につながることでもあります。

個人の思想による無差別殺人を「テロ」と定義するなら、ボストンの無差別殺人事件もそうなのでしょう。
でも、そうなるとこれを完全に防ぐことは、相当難しいか、ほとんど無理なのでは、と思ってしまいます。

無理とわかっているのに、それに対する費用をかけるというのは、そこに何か裏があるのでは?と思ってしまうのは、考えすぎでしょうか?

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