6月 122013
 

先週の「からくりTV」か何かで、客観的事実と心的事実という用語がでてきました。

例えば、女性は自分から男性を誘っていたにもかかわらず、自分がその人のことをあまり好きではなくなってしまうと、客観的事実が塗り替えられ、男性の方が自分を誘い、自分は嫌々デートをした、という事実が自分の中にできてしまうそうです。

それはどうしてかというと、女性は客観的事実よりも心的事実に重きが置かれてしまうためだからということです。

ちょうど最近、NHKのクローズアップ現代で「オノマトペ」に関する特集がありました。
オノマトペとは、「もっちり」とか「サクサク」とか「もふもふ」とかいう例のアレです。

論理的な説明よりもオノマトペで表現した方が、言葉の持つ威力が違うそうですね。

・柔らかい手触りの厚みのある毛を持つラマ → ×
・もふもふしたラマ → ○

という感じです。

番組の中では、とくに客観的事実と心的事実には触れていませんでしたが、オノマトペはまさに「心的事実」の塊だと思うのです。

上の2文において、上の方の文は、外国語にも訳せます。それは客観的事実、つまり、論理的に表現されているものだからです。

しかし、下の文は、おそらく外国語に訳すのは不可能か、非常に困難を極めるでしょう。
なぜなら、日本語というよりも日本人が共有する表現、いいかえれば、日本人が共有する心的な事実だからです。

「もふもふ」というオノマトペも出始めた頃は、みなさん、「もふもふ、って何?」と思ったでしょう。
それがいろいろな媒体や日常生活で「もふもふ」が蓄積され、日本人一人一人の中で、心的事実として積み重ねられ、今や「もふもふ」と聞くと、一人一人が自分自身の「もふもふ」感を持つに至りました。

これがオノマトペの持つ強みですね。

つまり、第三者がその一言を言うだけで、聞き手側が勝手にイメージを膨らませてくれるのです。
ですから、コンビニの新商品に「もっちり」が多く並ぶというわけです。

オノマトペが氾濫している結果、客観的事実、つまり論理的な表現が阻害されているのではないか?という指摘がHNkの番組内であり、まさにその通りのようですね。

わかりやすい表現であるオノマトペの代わりに、わかりづらい論理的表現が好まれるはずはありません。

ただ、注意しなくてはいけないのは、オノマトペは単なるイメージを言葉にしただけのもので、きちんと実態を語っているというわけではないということです。

よくある話にプロが3日間、懇切丁寧に説明したのに、その人が近所の奥さんに何か一言いわれただけで、プロの説明が覆されてしまうことがあります…。

これなんかは、客観的事実が心的事実に負けてしまうということを、うまく示している例でしょうね。

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