8月 032013
 

物ごころついたときから宮崎作品やジブリを見てきたわたしが感じたものは、これは宮崎作品の集大成かなというものです。
『風立ちぬ』単体だけだと、ちょっと物足りなさを感じるかもしれませんが、『風の谷のナウシカ』から始まる宮崎作品として考えると、風に始まり、風に終わるといった感じで、実にうまくまとまっていると思います。

風の谷のナウシカ』では、行き過ぎた文明が破滅し、世界が“腐界”という毒の森で覆われてしまいます。
毒の森ですけど、その実態は、世界を清浄化している解毒の森だったわけです。
人間の作り出した文明の毒を、森が何千年もかけて自らの身と引き換えに浄化しているのが、「腐界の真相」です。

『風立ちぬ』では、飛行機の飛びまわる空を、風を通して美しいものとして叙事的に表現しています。しかし、その飛行機も軍事的な目的で研究開発されました。空から爆弾を落とすためです。いわばそこ(空)にあるのは、美しさなどといった叙情的なことではなく、その真逆にある「破壊」「破滅」です。
これは『ハウルの動く城』に似た感じの暗喩ですね。

ナウシカの世界では、不浄の森が実は浄化の森であり、『風立ちぬ』の世界(いわば、リアルな人間の世界)では、美しい空が実は破壊をもたらす空であると表現しています。

天と地、虚構と現実で、「清」と「濁」を併せ持つ、これが宮崎作品の集大成だとわたしが感じた理由です。
『風の谷のナウシカ』では、(毒におかされつつある)環境と人間は、うまく共存しましょう、その方法を探しましょうというのが、ナウシカや(後の)アスベルの主張するところです。
それが『もののけ姫』では、サン(環境)とアシタカ(人間)はそれぞれの道で、それぞれに生きようと主張しました。
これがジブリというか、宮崎監督の中間地点で、迷いに迷っている時期です。ナウシカのときは、「共に」だったのが、もののけのときは、「それぞれ」に変わっています。

そして、今回の『風立ちぬ』では、その答えは、あなたがた一人一人に委ねます、と言っているように思えました。
正解も不正解もありません。清濁併せ持つこの世界、清濁併せ持つ人間、もちろん、あなたも含め、非リアル(アニメ)の世界と今のあなたのリアルの世界、あなたの感じたことがすべてであり、その感じたものが「答え」でしょう、というメッセージが『風立ちぬ』から読み取れます。

風は何でも知っている、と同時に、風は何も知らない。ただ、風は風として吹くだけのこと。
風は吹いている、さぁ、あなたは?

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