8月 272013
 

「消費」のために働くというライフスタイルを超えて

今、日本社会は過剰なほどモノやサービスが溢れている。ここで人間の根源的な欲求を満たすには、市場にデザインされた消費行動の類型に嵌め込まれながら「消費」のために働くという生き方ではなく、自分が選択した働き方そのものが満足の源泉となるような生き方が必要ではないだろうか。なぜなら、主体的に選択した働き方・生き方には、人間の“幸せ”につながる自己肯定感や達成感が内在しているからである。“「消費」のために働くというライフスタイル”を超えたところに、本当に豊かな時代の“幸せ”もたらす暮らし方があるように思う。

http://blogos.com/article/68809/

以上転載

「消費」という言葉が大きなくくりで、意外にあいまいなんでしょうね。
消費というと、お金を費やしてモノを手に入れるというニュアンスで、どうしても「費やす」という自分側に重きがおかれると思うのです。その行きすぎたかたちが「浪費」ですから。

モノがあるかぎり、そこにはそのモノの物語や作り手がいるわけで、そちら側のことを見ていないのが、「消費」という感じがするのです。
ですから、消費行動としては、安ければ安いだけいい、という自分サイドだけの理屈が成り立つのです。

相手サイド、つまり、モノの側の視点も取り込んだ上で、消費するのは、元来の消費行動とは一線を画します。
それは面倒くさいことであり、また、お金をより多く「費やす」ことにもなることです。

その反面、お金を費やす行為(単なる消費)から、自己とモノ(他者)を連関させる行為に昇華させることでもあります。

以前見たことがあるのは、こちらの記事(転載していない部分)にも書かれていましたが、値札票に制作者の声が細かく書かれている手作りの商品の販売でした。
このように、モノを通じて、その向こう側に血の通った人間がいること、それを感じ入ってモノを買うのと、そうでないのでは、モノに対する感情は違ってくるでしょう。

行きすぎた大量生産・大量消費の暴走にストップをかけるのは、消費者であり、同時に生産者でもあるようですね。

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