12月 022013
 

他者の命を頂くことで次の命に繋がる。命が連鎖していればこそ世界は保たれる。自然の成り行きであり、そこに感情論は持ち込むべきではない。(P6)

この手の論調は、あまり好きではないんですよね。
“命”を持ち出して、何かを肯定しようとするロジック。

肉食に限って言えば、それは詭弁です。だって、完全な菜食主義者もいますし、それで死にはしません。

むしろ感情論でいいんじゃないんですかね。肉を食べたいから食べる、そのために狩る、以上!

変に頭の中で理屈をこねくり回すよりも、好きか嫌いかくらいの低次元のレベルに落とした方が、もっと根源的な自分自身の問題として捉えられると思うのです。
肉を食べるということ、食べるという行為そのもの、また、食べなければ死ぬということなど、さまざまことを自分の中に落とし込んで、それぞれが考えればいいのです。

誰かを納得させる必要もないので、別に理論に走らずとも、とことん感情的に自分と向き合えばいいのです。

一人が車にロープを取りに戻る。その間に男たちは大鹿の腹を割き始めた。内臓を抜くことで少しでも鹿の体を軽くしようというのである。(P21)

上のくだりは、体重100kgにもなろうかという大鹿を仕留めた後のものです。
100kgは大げさかもしれませんが、内臓を抜くことで重さは3分の2くらいにはなるでしょうか。おそらく骨と筋を取り除けば半分くらいの重さにはなると思います。
それにしても重たいでしょうけどね。
※出荷時の生後180日前後の豚が約100~120kgです。

なぜプロ(の猟師)がいないのか、どうして生業として成り立たないのだろうか。その理由は、まず商品の需要がないことが挙げられる。(P112)

需要と供給というか、需要だけの問題ですね。
兵庫県の猟師さんの話では、震災前なら猟期に、60kg級のイノシシを2日に1頭仕留めれば、専業として十分に成り立ったそうです。

それは関西地方には、それだけのイノシシ(供給)とそのイノシシ(獣肉)を食べる食文化(需要)があったということです。
いくら供給があっても、野生の獣肉を食べるという需要がなければ、職業としての猟師は成り立ちえません。

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