12月 152013
 

消費者から「共生産者」へという意識の転換。
今までの、買って→食べるという立場や考え方を、一緒に作って→買って→食べるという意識にするのが、今世紀の課題だと思う。

なぜならば、食べ物を含め、すべてモノ化されたものは、すなわち“商品”であり、資本主義の原理のもとで作り出された大量生産の食べ物(商品)の製造現場や実態などは、企業サイドは知られたくはないでしょう。
また同時に消費者サイドも、知らなくてもよい情報は知りたくもないという相互の関係はあるのでしょうが。
※おいしく食べていたはずの食材が偽装されていたケースなど

このような状況において、個人レベルで行うこと・行えることは、「スローフード」ということになるのです。
スローフードの意味することがわからなければ、いわゆる“ファストフード”の対極と考えればよいでしょう。

海外における“スローフード運動”は、日本における“美食”に近いのかもしれません。
これは、「美味しいものをたくさん食べる」といった下世話な意味でのグルメ=美食ではなく、美しい食べ物を美しく食べるといった本来の意味における食行動としての「美食」です。

例えて言うならば、魚柄さんのような食行動が、本来の美食なのでしょう。

現在農民の多くは、より多く収穫ができる種類の種子を作った会社から毎年種子を購入している。そこで重視されるのは収穫量と、同じ種苗会社で製造される除草剤への耐久性である。
より多くの収穫と病害虫からの耐久性という願ってもない性質をもった種子は自然界から得られたものではない。
1万2000年にわたる農民による緩やかな選択(優れた性質をもつ種子を残すという)作業は、商業目的のために、たった50年で無に帰してしまったのである。(P84)

飢えに苦しまないよう、せめて少ない食べ物をできる限りおいしく食べようとする単純な方法(P98)

そもそもファストフード店のハンバーガーや牛丼が美味しくて食べているのならば、それはそれで個人の自由ですからかまわないのです。
しかし、安いからとか、手軽だからとかいう「反美食」行動であるならば、それはいかがなものなのか?そのような生き方で、本当にいいのか?そのような人生で、本当にいいのか?ということになります。

ですから、それらの問いに対して「No」という答えならば、本書が提案する「食を生活の中心にする」という考えや行動は重要なポイントになります。

「美食」を中心に据えることで、否応なしに「食」が生活の中心となり、生活自体も自然に“スローライフ、スモールライフ”の方向になると思います。

「スローフード/スモールライフ」は、そうありたいという人が目指すべきことであり、別に全ての人に強要すべきことではありません。

興味のある方のみご購読ください。

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