12月 152013
 


/ Anosmia

虚構新聞 というサイトがあり、けっこう人気のようです。
その名の通り、「虚構(=うそ)」を記事風に仕立てて、ネット上に公開しているようですが、こんな感じは、所さんとたけしが『ファモーソ』という雑誌でやっていましたね。

物事を書く時には、ある一定のスタンスが必要です。
例えば、わたしのブログ「ほんとうの整体の話をしよう」は、整体を否定するスタンスで書いています。

理由は単にそのように書いている人がいないからです。
物事には負の面も正の面もあり、負の面にも言及してあげた方がより知的レベルが上がると思うので、あえて書いている部分もあります。

なぜならば、自分的には「不可知論(アグノウスティシズム)」のスタンスであり、どちらかわからないという中立的なものの見方が基本です。

はなから否定も肯定もしません。
あきらかにおかしければ「おかしい」と言っているだけのことです。
また同時に、科学的に確かでも、医学的に正しくても、別にどうだっていいじゃんというニヒリストでもあります。

例えば、神がいるか?との問いに対して苫米地さんは数学的に神の不在を証明しました。


※この関連の動画のどこかで説明していました

しかし、同時に彼の発言の中に「それはオレの魂の声だよ」みたいな“魂”という概念があることを示唆するものがありました。
とうことは、実在しないからと言って、必ずしも存在しないとは限らないという証左でもあるのです。
※彼のロジックにのっとれば
※※あ、でも、突き詰めるとこれは「悪魔の証明」になるので、不毛ですね

まぁ、ものの見方として、「ある」か「なし」かで見てしまう方が楽でいいでしょうね。
でも、「どちらかわからない」というのが、圧倒的大多数の人の意見であり、感覚だと思うのです。
もっと言えば、「どっちでもいい」。
神がいようが、いまいがそれはどちらでもいい。しかし、明らかに論理的に破綻しているのならば、混乱させるような“戯言”は止めてほしい、というのが多くの人の感覚ではないでしょうか。

例えば、占いなんか信じてないけど、血液型占いでちょっと話が膨らんでいるのに、それに水を差するもりはないよ、といった程度の感覚です。

突っ込みを入れることのおそらく全ては、非科学的なことに対してだと思います。
例えば、心霊現象に対して、「それは科学的ではない!」となり、対立し先には進みません。

ですから、「アグノウ新聞」では、中立的な立場で、まず非科学的であっても相手の言うことすべてを聞く、そして、それをすべて受け入れて、相手の言うことの論理構造を理解するように努めます。

結局、この手のことで対立るするのは、「科学的VS非科学的」なので、対立するのです。
つまり、双方ともに相手のロジックで話をしていないのです。

ですから、とりあえずは相手のロジックに乗っかり、そのロジックにおいておかしければ「おかしい」と言うようにすべきなのです。
そのロジックにおいて正しければ、それは正しいのです。
※例えば、統合失調症の患者さんが「死神が見える」というのは、正しいです。しかし、それは「死神がいること(=実在)」を示してはいません。

これは苫米地さんが行った脱洗脳のやり方です。
洗脳がかかっていると、いくら外界のロジックで論破しようとしても、その「論」自体を異質のもの、外界のものとみなし、受けつけません。
しかし、自分の世界、自分の言葉から発せられたロジックによって論破されると、これはもう終わりです。
麻原彰晃がまったくしゃべらないのは、おそらくそれをおそれているのでしょう。

まぁ、そんなわけで中立なスタンスとして、相手のロジックに則ってやりとりをする情報媒体を目指そうかな~などと思ったりなんかしています。

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