12月 172013
 

正直な処、第一印象でこのニート株式会社に感じるのは「気持ち悪さ」しかない。日本中のニート達が集まってその全員が取締役に就任した、ということらしい。搾取・被搾取の上下関係を造らないためだとか。この「ニートが集まれば文殊の知恵」みたいな起業話って、神山健治監督が『東のエデン』(2009)で既にやっているし、元をたどれば村上龍の『希望の国のエクソダス』(1999)とかで、もうさんざん出尽くしたネタだと私個人では思っているから、今更の感はある。

上記はニート株式会社の特徴とやららしいが、なんかここまで来ると原始共産制の臭いすらする。どうりで山本太郎や三宅洋平に投票する若者が多いわけである。彼らは、自らが成熟した戦後日本の病理の一部であり、そこと癒着していることを自覚するところから始められてはどうか。

「ニート株式会社」の気持ち悪さ より

NPO中小企業共和国が行う「NEET(ニート)株式会社」というミッションの社会学的な意義や意味などは、わたしには到底論じられませんが、この方の感じらている「気持ち悪さ」は、なんとなくわかります。
もしかしたら、わたしの感じる気落ち悪さは、この方とは別の感じ方の気持ち悪さであり、「それって結局、今の社会とどう違うの?」という類の気持ち悪さかもしれません。

つまり、状況が変われば、みんなも世の中も変わるだろうという実に短絡的発想の気持ち悪さです。
共同体なんて掲げても、上位にいる一部のモノが潤うだけのことじゃね?と思ってしまうのです。
それは、まさに筆者の言うところの「原始共産制」です。

原始共産制のおろかしさは、ジョージ・オーウェルが『動物農場』によって、見事に書き記しています。

「みんな」でというのは、理想ですが、同時にそれは幻想だと、わたしは考えております。
ですから、あるべく統治のかたちのベストは、真の全智全能者、公平無私の人による独裁だと思っております。

その次にくるのが、「民主主義」であり、それを変えようとするのならば、「共和国」ではなく「公国」だと思うのです。
尊き精神を持つ一部の者たちが統治する組織、というのが全知全能の者による独裁の次に優れていると思います。

そのような精神もあって、わたしが樹立しようとしている組織体は「公国」となっているのです。
わたしは想起者であり、統治者とはなれないでしょう。
でも、それでいいのです。それがいいのです。

精神性に優れたわずかな人により、その方向性を示し、その下に直接民主制を敷き、組織としての行動を決める…今のネット情報化社会ならば、自分たち自身がより政治にコミットするという参加型の直接民主制というのは可能なような気がします。

坂口さんのような絶対的なリーダーのもとに、賛同者が集まるといった組織もいいのでしょう。
しかし、彼がいなくなったときはどうなってしまうでしょうか?

一見うまくいっているように見える「共和国」の末路は、ソビエトや北朝鮮を見ればわかると思います。
ただ、共産主義の可能性として、キューバは注目に値すると思います。とくに医療の分野は。
しかし、まだ建国者が(ほぼ)統治者なので、今後を見守る必要はあるでしょうね。

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