1月 202014
 


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2014年1月19日 宗教法人「福音伝道教団 伊勢崎キリスト教会」にて
礼拝に初参加

伊勢崎キリスト教会
http://isesaki.christian.jp/

矢代博常師による説教

神の臨在について

そもそも、信仰の大元は「神」がいることに気づく、認める、それに基づく…といった具合に、「神の存在」が大前提となります。

「神」の存在を信じない、感じないのに、信仰も何もありません。
ですから、まず「神の臨在」というものが、信仰において大きな重要性を持っていると言えるのです。

詩篇:16章1-11

あなたこそわたしの主、あなたのほかに、わたしの幸いはありません

神とは何か?と言われたら、「わたしの主」、これが答えです。
神様がいるとか、何かしてくれるとか、そういうこととは少し違います。

ただ、主なる神、イェス、従なるわたし、という関係性のみがあるだけです。

まず、神様は「主」であり、わたしは「従」であるという認識がないと、話になりません。

そこにおいて、幸いを感じるのです。

さて、「幸い(幸福)」とはなんでしょうか?
それは、喜び、楽しみ、安らぎです。また、それでけではなく、そこには「希望」も大切です。
使徒(2):25

人生において、「喜」「楽」「安」「望」を尺度とし、道を踏み外さないようにすべきです。

わたしの前に主をおいた

これは一見何のこともないことのようですが、非常に重要な要素です。
なぜなら、わたしの横に、わたしのポケットの中に、わたしの記憶の中に…と比べてみるとかわるかと思います。

わたしの前に主をおく 
ということは、常に主と対峙することになります。常に、主が目の前にいる状態ということです。
ですから、これは簡単なようで、実はものすごく難しいことなのです。

常に主を目の前にし、主とともにある…言葉にすると簡単ですが、一挙一動、常に神といるという状態なのです。

これは、禅の修行や、「無」や「空」に近い状態かと思われます。

常に神と対峙するのは難しいので、だからこそその行為を「お祈り」のかたちにし、習慣化させ、定着させている宗教が多いのでしょう。

朝起きた時、眠る前、食事の前などなど…そのような時に、「神に祈る」ということを通じて、神様と対峙するということを行っているのだと思います。

その行為を日に何度も行うことで、凡人としての人間は、

わたしの前に主をおいた

という状態を常に作り出せるのでしょう。

まぁ、でも、常に神と対峙しているという状態は、脳内天国に住まうことになりそうで、これは本当に“アヘン(麻薬)”ですよね。

エリートニート → 脳内精神病院 → 脳内天国 というような素敵なことになりそうです。

NPO法人 シャロン
http://nposharon.org/

ちょっと藤岡は遠いのですが、最終的にはこういった感じで、働きたいんですよね。

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