2月 232014
 
僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか? (星海社新書)
木暮 太一
講談社
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「働いたら負け!」という主張の正しさとともに、いくばくかの違和感があり、最近は、「働いたら負け!」ではなく、「買ったら負け!」なのではないのかと思っております。

「働いたら負け」というのは、働くことの本質、つまり、自分や他の人のためになる金銭を伴う労働を全否定しているように聞こえてしまいます。

知恵や情緒ある人間として、コミュニケーションの1つの手段に「仕事」というものがあってしかるべきです。
ですから、「働いたら負け!」というニート観の言わんとすることはわかりますが、少し違和感を感じるのです。

しかし、この本を読むと、その違和感がはっきりします。
つまり、自分や社会のために働くのは、正しい行為であるが、会社のために働くというのは、これは明らかに「負け」なのです。

資本主義経済において、資本家側(会社)は精一杯、労働者から労働力を搾取する権利があります。
しかし、それに有無を言わず従うのは、これは負けです。
※例)ワタミの過労死など

こういった意味での「働いたら負け!」という論理はうなづけます。
しかし、自分(や家族)の生活、そして、社会のために労働を行うのは、これはどう考えても正しい行為です。
それではどこまで働けばいいのかというと、その基準は難しいでしょう。
人の常として、年収200万円の人はそのような暮らしをし、年収1000万円の人はそれに見合った“余裕のない”暮らしをしています。

ということは、年収が問題なのではなく、支出に問題があるということです。
収入ではなくて、支出です。

支出=購買行為を抑えないかぎりは、年収がいくらいになっても“余裕のない”暮らしに変わりはありません。

ということであれば、「働いたら負け!」ではなく、「買ったら負け!」というロジックが成立します。

資本主義経済のレイヤーにいる限り、貨幣の縛り、つまり、お金を払って何かを得るという行為から、完全に脱却することは不可能(もしくは、相当難しい)です。

ですが、軸足をなるべく資本主義経済からずらすということで、お金の縛りから開放されます。
つまり、「買ったら負け!」の思想を実装するのです。

また、同じものを買うにしても、大手のコンビチェーンではなく、地元のスーパー、地元のスーパーよりも町の商店、町の商店よりも近所の知り合い…といったように、より身近な人に「お金を渡す」という行為にするのです。

より身近な人とやりとりをすることで、「買っている」というよりも「お金を渡している」という行為、つまり、本来の“経済”行為に戻すことができます。

何かを売る時は、全国のチェーン店、何かを買う時は、より身近な人…これが「買ったら負け!」の本質です。

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