10月 102014
 
フリーター漂流
フリーター漂流
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松宮 健一
旬報社
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今や社会構造の1つとして固定化されてしまっている“フリーター”という職業的立ち位置。
その現況を10代・20代・30代と世代別にリポートしています。

2006年の初版なので、多少古く、また、リーマンショック前の状況なので、現在はもっと悲惨かもしれません…。

フリーター問題を考えるとき、社会全体の問題と考えるのか、経済問題と考えるのか、個人の問題として考えるのかで、論点が変わってきます。

まず、圧倒的に少ないのが個人の問題でしょう。
正社員になりたくても、会社自体が正社員を求めていない会社は多々あり、また事実どんどん増えております。

「フリーター問題」を語っているのに、演劇や音楽での成功を目指し、まともな生活を送っていない人もリポートしているのは、話がこんがらがるので止めてもらいたいですね…。

まず、社会構造として、フリーター(的立場)というのは厳然として存在する、という認識は、きちんと持つべきだと思います。それを踏まえたうえで対処しないことには、どうにもなりません。その処方箋として

1 フリーター(=正社員の一歩手前)ではなく、「自営業者」の意識を持つ
フリーターと自営業者の違いはなんでしょうか?働き方?税制度?…いえいえ、これは単に意識だけです。
自分が正社員の手前の職業に就いているか、自分で仕事を取ってきて、その仕事をしているかの違いだけです。

ですから、正社員予備軍に可能性を感じないのであれば、自営業者の自覚を持って、それに対処すべきなのです。
社会が悪い、国が悪い、と言っていたら、話は前に進みません。

2 社会構造として、「正社員」はオワコン
これだけ多くの人が正社員になりたがっているのに、正社員になれない、という状況は、これはもう正社員が一般的ではなくなったということではないのでしょうか。
つまり、正社員はオワコン(終わったコンテンツ)ということです。

これは高校生への求人募集が如実に物語っていると思います。
かつて1000件あった正社員の求人が200件では、高校生も選びようがありません。

また、社会構造として、これだけ第3次産業のサービス業ばかりになると、固定費がかかる正社員の比率はますます少なくなると思われます。

3 社会構造として、「貨幣主義経済」はオワコン
フリーターで働くことで、正社員との大きな違いは給与でしょう。
なぜ給与が問題かというと、お金があればあるほど、好きなものや買いたいものが買えるという至極当たり前のことによるかと思います。

人はなぜ働かなければならないのか?

たいていの「オトナ」たちは、「働かなければ食べていけない」と言います。
それでは、本当に食べることだけに(衣食住だけに)いったい月にいくらかかるでしょうか?

ホリエモンは、月に7万円もあれば食べるだけなら食べていけると常々言っています。
「それじゃ東京では家賃で終わってしまう」と反論されるようですが、「別に食べていくのに、東京にいる必要はない」と言います。
「地方には仕事がない」と言われますが、月に手取りで20万・30万の仕事はないですが、7万円程度の仕事ならば、探せばあるでしょう。

しかもポイントとして、地方は家賃が安く、また、何よりも土地があることにより、食べ物を作ることができるのです。

つまり、東京などの大都市では、食べ物を得るためにお金を得る必要があるのですが、地方では食べ物を得るために食べ物を得ればいいだけの話なのです。

貨幣主義経済が終わっている今、頑張って貨幣=日本国円を得るよりも、頑張って必要なもの=食糧を得る方が、よほど得であり、近道なのです。

4 社会構造として、「個」の時代の終わり
リポートの中で、家族5人が全員フリーターという悲惨な状況…というニュアンスで伝えられているものがありました。
正社員=安定、フリーター=不安定。という構造で、不安をあおるのはいいのでしょうが、現状としてフリーターという職業立場なのは変わりありません。だったら、それを肯定的にとらえ、その立ち位置を基準点にしてしまえばいいのです。

つまり、フリーターが一人で暮らすのは大変だけれど、5人集まれば経済的には問題ない、という方向へ持っていく方が自然だと思います。

その時、大きく立ちはだかるのが、「社会人としての自立」という世間体のような社会の暗黙の了解でしょう。
成人したら独り立ちするのが当たり前…という旧来の、なりたければみなが正社員になれた時代の社会基準が現在もあります。

そもそも、「正社員化」がオワコンなのに、その時代の社会基準を当てはめようとするのがおかしな話なのです。

しかし、その反作用として、今まで享受していた「個」も捨てなければいけません。
つまり、一人ひと部屋でテレビやエアコンがあり、完全なるプライベートルームが確立されている…といった大いなる「個」を謳歌することはあきらめなければいけません。

つまり、これは昭和の中期に逆戻りということです。

貨幣主義経済の中で、上にあがろうともがくのか、現在の社会構造からドロップアウトするのか、それは考え方によりけりですが、もうもはやかつての「古き良き昭和」ではないという自覚は持つべきでしょうね。

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